安田 菜津紀 – フォトジャーナリスト
言葉を紡ぐとき、写真を選ぶとき。いつも心がけているのは、受け取った方が「明日も生きたい」と思えるかどうかです。棘のある言葉に疲れたり、耳をふさぎたくなったりした方が、少しでも心が休まるように。そんな願いを込めて、これから…
言葉を紡ぐとき、写真を選ぶとき。いつも心がけているのは、受け取った方が「明日も生きたい」と思えるかどうかです。棘のある言葉に疲れたり、耳をふさぎたくなったりした方が、少しでも心が休まるように。そんな願いを込めて、これから…
戦争は、歴史として語りついでいくものだと思っていた。もちろん、これまでも、平和維持活動として、自衛隊が海外に駐留したことはあった。しかし、それは、これから日本が歩んでいこうとしている道とは、まったく異なる。自衛のため以外…
世界には巨大で構造的な不条理が存在します。多くの場合それは格差や差別の構 造として現れますが、すべての市民が自分の問題として向き合わなければならな いにもかかわらず自分たちはまだましだ、として無関心のベールに覆われたまま…
70年代からアジアの戦争や紛争地を取材しながら、軍による暴力の実態を現場で目撃してきた。ハッキリと断言できることは、人権を侵害する最大の主体は国家であり、実行するのは国家に専有された暴力装置としての軍であるという事実だ…
昨年は第1次世界大戦開戦100年目であった。今年は第2次世界大戦終戦70年目に当たる。日本は、第1次世界大戦で戦勝国となり植民地支配を拡大し、第2次世界大戦では敗戦国となって戦争責任を問われた。国際連合憲章は、わずか30…
「慰安婦の強制連行の証拠はなかった」として日本軍の関与を否定し、アジア・太平洋戦争を「アジア解放の正しい戦争」とする安倍首相の下、今の日本は「戦争ができる国づくり」を着々と進めています。敗戦から70年、曲がりなりにも日本…
70年前、日本は連合国との戦争に敗けた。今年は「終戦から70年」と、マスコミの報道をはじめ、個人のSNSでもたくさん書かれていた。正しくは「敗戦から70年」なのでは?と引っかかる。日本語の良いところでもあり、悪いところだ…
韓国で元日本軍「慰安婦」であったと金学順(キム・ハクスン)さんが告発されたのは1991年でした。当時学生だったわたしは、それ以来、日本軍「慰安婦」問題の解決のためにはなにが必要か、なぜ、戦争に加担したわけでもない、自分た…
昭和20年8月15日正午過ぎの空は晴れわたり、青かった。 静岡第一師範学校付属国民学校3年生(満9歳)であった筆者は、同年6月⒚日の空襲で焼け残った東鷹匠町の我が家に、ひとりで留守番をしていた。終戦の詔勅のラジオ放送は聞…
私の家は、祖父母も親も戦争に行かなかった。母は兄弟8人、父は兄弟10人の大家族で、どちらの家族も貧困に苦しみ、父はしばしば、自分だけ林間・臨海学校に行けず、給食が食べられなかったこと、鍋の中の少しの肉を兄弟でけんかして取…