後藤 弘子 – 千葉大学大学院教授

後藤 弘子
千葉大学大学院教授

戦争は、歴史として語りついでいくものだと思っていた。もちろん、これまでも、平和維持活動として、自衛隊が海外に駐留したことはあった。しかし、それは、これから日本が歩んでいこうとしている道とは、まったく異なる。自衛のため以外では、目の前で起こっていることに介入できないという、1994年4月当時ルワンダに駐留していたロメオ・ダレールの苦悩を、少なくとも、国際平和協力法の下での活動では引き継いでいる。それが日本国憲法の平和主義の枠内で、行える最大限のことである。

戦後70年間、アメリカの戦争に加担することはあっても、戦争を歴史としてのみ語り継ぐことができた日本が今行うべきことは、戦争を風化させずに語り継いでいくこと、歴史として残し続けることである。

先の大戦の歴史を語れる人は年々少なくなる。広島の原爆病院に慰問にいった中学生の時、いずれ、私たちに原爆の経験を伝えてくれる人たちがいなくなるという事実に気づき、愕然としたのを今でも鮮明に覚えている。敗戦の日、回天として出撃準備のために宮崎にいた父が、戦友たちを訪ようと試みても、多くの戦友たちは当然ながらすでに他界していて、語り合う機会は失われてしまった。

ずっと疑問に思っていた。さまざまな戦争の「語り」を残し続けることをなぜ国家的プロジェクトとして行わないのだろうかと。戦争に参加した人たちの語りを残し、そして、そこから、それぞれが「事実」を編み上げていくことで、権力者が語る事実を相対化することができるはずだ。

70年の時間のなかで、失われた多くの「語り」がある。けれども、まだ「語り」を残す時間はある。これからの10年でやるべきことは、憲法違反の法律を作ることではなく、「語り」のアーカイブを作ることである。平和を続けてきたのにできなかったことを、今一度見直す。そんな戦後70年でありたい。

後藤 弘子 (千葉大学大学院教授)