言葉を紡ぐとき、写真を選ぶとき。いつも心がけているのは、受け取った方が「明日も生きたい」と思えるかどうかです。棘のある言葉に疲れたり、耳をふさぎたくなったりした方が、少しでも心が休まるように。そんな願いを込めて、これからの文章を綴ります。
「どんな未来を子どもたちに残したいだろう」。大人になるにつれ、そんなことを考える機会が増えていきます。けれども私は、あの大戦を直接体験したことがありません。戦争体験者の方のお話を聞くことが出来ても、その場に自分が身を置いていたわけではありません。そんな自分が語れる言葉があるのだろうかと、時折考え込むことがあります。
そんな中で起きたのが、あの東日本大震災でした。天災・人災の大きな違いはありますが、ある日突然、それも理不尽に、人の命や故郷が奪われることがあることを突き付けられた日です。当たり前のものが当たり前ではなくなることを、私たちは少なからずあの日に教訓として受け取ったのではないでしょうか。
私たちは、今の生活からいきなり戦地を想像することはできないかもしれません。けれどもあの被災地の光景を思い起こし、それがもしも、戦火のように人の手で起こされてしまったものであったら。そしてまた、人の手で止めることが出来るものであるなら、と想像への道のりをつなげていくことは出来るのではないでしょうか。あの痛みを忘れないことが、戦争に想いを馳せることに通じるかもしれません。
そしてもうひとつ、あの震災で気づかされたことがあります。震災直後に、陸前高田市内の避難所で、おばあちゃんに声をかけられたことがありました。
「外国のこと、教えてちょうだい」
外はまだ瓦礫だらけでした。ただただ驚き、言葉を返せずにいる私におばあちゃんがこうおっしゃいました。今までどこかで起きた戦争とか災害なんて、どこか他人事だった。でも自分が家を流されてみて初めて、少しだけそんな人の気持ちが分かった気がするから、と。
そして昨年の冬、市内の仮設住宅のおばあちゃんたちが、寒い思いをしないようにと、私が取材で携わっているシリア難民の子どもたちのために余った物資や服を集めてくれました。痛みを知っているからこそ、出来ることがあったのではないでしょうか。
私たちの強みは本来何なのでしょうか。大戦で、災害で、幾度となく人の命が奪われてきたからこそ、傷つけあい、血を流し合う以外の術を探ってきたのではないでしょうか。
「昔戦争があったんでしょ?もう大丈夫なんだよね?」ともし子どもたちに問われたら。「そうだよ、その反省を活かして、傷つけ合わない社会を築いてきたの」と、堂々と答えられる未来を、これからも目指していきたいと思います。
安田 菜津紀(フォトジャーナリスト)