70年代からアジアの戦争や紛争地を取材しながら、軍による暴力の実態を現場で目撃してきた。ハッキリと断言できることは、人権を侵害する最大の主体は国家であり、実行するのは国家に専有された暴力装置としての軍であるという事実だ。
そもそも軍は人々を守らない。軍が守るのは国家であり、軍そのものである。独裁国家であれ、民主主義国家であれ、その本質は変わらない。
また軍の銃口は「敵」だけではなく、多くの場合、政権を批判する自国民に向けられてきた。戦後、長い間、軍事独裁政権の続いたタイ、ビルマ(ミャンマー)、インドネシアなどの東南アジア諸国をはじめ、民主化運動を暴力で弾圧してきた中国、韓国などの歴史を振り返れば、権力者は自らの権力を維持、強化するために軍(暴力)を使う。
日本の自衛隊も、例外ではありえない。「自衛隊は日本の人々の命を守る」というのは幻想である。
アジアを回りながら、もうひとつ戦争について学んだことがある。日本の起こした侵略戦争がいかに多くの人々の命を奪い、苦しめてきたかという歴史的事実である。残念ながら、日本人の戦争の記憶の大部分は、「被害」の記憶であり、「加害」の記憶はすっぽり抜け落ちている。日本社会は、侵略され、被害を受けたアジアの人々の立場、視点から、アジア太平洋戦争を語ることをせず、加害の事実はきちんと継承されていない。過去から学ぼうとしない人々の歴史認識は、粗雑なナショナリズムを鼓舞するだけできわめて危うい。
国家の語る「正義」を信じてはいけない。すべての戦争は自衛や正義の名のもとに行われ、無数の人々の命や生活を破壊してきた。軍事力(暴力)に依存しない平和をどのように築いていくのか。その理念の具現化こそ、日本の選択すべき道だと信じている。
野中 章弘
早稲田大学政治経済学術院ジャーナリズム大学院教授/アジアプレス・インターナショナル代表/
ジャーナリスト/プロデューサー/HRN理事