「慰安婦の強制連行の証拠はなかった」として日本軍の関与を否定し、アジア・太平洋戦争を「アジア解放の正しい戦争」とする安倍首相の下、今の日本は「戦争ができる国づくり」を着々と進めています。敗戦から70年、曲がりなりにも日本は「平和主義」と「民主主義」に立脚してきました。ところが憲法改正をライフワークと公言する安倍首相は、特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認、武器輸出の解禁、日米新ガイドラインの改定、沖縄・辺野古への基地移設…と暴走を続け、その総仕上げとも言うべき安保関連法案で、日本国憲法を有名無実にしようとしているのです。
私は東京・新宿にあるアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)の館長をしています。開館から10年になるwamは、日本で唯一「慰安婦」被害と加害の証言や資料を集めた資料館です。もとはと言えばNHKのディレクターとして「慰安婦」問題の番組を1991年から8本ほど制作しましたが、96年8月に放送予定だった「慰安婦」の特集番組で制作中止命令を受けて以降、「慰安婦」の提案が全く通らなくなりました。
そのため一市民として「慰安婦」被害者や元兵士の証言を記録しながら、中国の被害女性の裁判支援や2000年の女性国際戦犯法廷の開催に携わってきました。5年前にNHKを定年退職してからはwamの仕事に専念しています。
このような立場から、「慰安婦」問題の歴史を振り返ってみると、この四半世紀の間に「慰安婦」問題が封殺されてきた流れが浮かび上がってきます。
アジア太平洋戦争でアジア全域に設置された日本軍の慰安所は、日本兵の多くに利用され、「慰安婦」は「戦場に金儲けに来た売春婦」と思われていました。しかし報道や言論が厳しく管理・統制されていたので、その存在は国民には知らされませんでした。敗戦直前、軍は慰安所関連の文書を各部隊に焼却・廃棄させ、証拠隠滅を図りました。帰還した兵士たちは、自分を「無謀な戦争に駆り出された被害者」ととらえ、加害者意識はありませんでした。
「慰安婦」問題が日本人に突き付けられたのは、1991年8月、韓国の金学順さんが元「慰安婦」と名乗り出た時からです。これを機にアジア各国から被害女性が立ちあがり、日本政府に謝罪と賠償を求めて裁判を起こしました。これに大きな衝撃を受けた日本の市民や研究者は証言を聞き取り、資料を集め始めました。すると「慰安婦」制度が世界に類を見ない性奴隷制であり、女性への重大な人権侵害で戦争犯罪だということがはっきりしてきました。戦争から半世紀も経ってから被害女性が立ち上がることができたのは、アジア諸国の民主化と女性運動の高まり、東西冷戦の終結があったからでした。
しかし90年代後半、「慰安婦」裁判や国連の調査から被害実態が明らかになるにつれて、日本国内では「強制連行はなかった」「『慰安』は売春婦」という右派の猛攻撃が始まりました。「慰安婦」の記憶と記録を抹殺しようとする歴史修正主義が政治の主流におさまり、問題解決に取り組まないばかりか、歴史の歪曲や捏造を始めたのです。その結果、97年度版の全ての中学歴史教科書にあった「慰安婦」の記述は徐々に削除され、2012年度版では、ゼロになりました。公立の平和資料館や博物館でも、展示の撤去や後退が増えていきました。
「慰安婦の強制連行の証拠はなかった」と一貫して主張してきたのは安倍首相です。昨年8月に朝日新聞が「慰安婦」報道検証を行い、吉田清治証言などを誤報だったと発表すると、右派のメディアは「売国奴」「国賊」と朝日新聞バッシングを始めました。やがて彼らは被害女性の証言まで「嘘」だと貶め、慰安所は民間業者がやったことで軍や政府には責任がない…と暴論を吐くようになりました。
こうして、「慰安婦」問題は「南京大虐殺」「天皇の戦争責任」とともにメディアではタブー扱いされて、日本と韓国のナショナリズム対立にすり替えられ、アジア各地での被害実態はほとんど報じられていません。しかしそれを知らないのは日本人だけで、アジアや世界の人々はよく知っているのです。
「慰安婦」問題では、日本人の戦争責任と植民地支配責任、人権感覚が問われています。このままでは、いくら安倍首相が「美しい国 日本」を唱えたところで、日本は「世界から蔑まれる国」になることでしょう。
私たちは、日本が行った戦争加害と植民地支配がもたらした被害に向き合い、被害者が求める日本政府の公式謝罪と賠償を実現させなければなりません。このことは、今も世界の戦場や紛争地で発生している性暴力をなくしていくことにもつながり、女性の人権確立のための喫緊の課題となっています。そして、今や高齢で数少なくなってきた被害女性や元日本兵の証言を聞き取り、記憶と記録を次世代に引き継いでいく責務もあります。
日本が憲法9条を骨抜きにして「戦争ができる国」になることは、断じて許すわけにはいきません。自国の歴史と戦争の現実に向き合うことも、そこから何も学ぶこともできない政治家が「戦争」を主導すれば、日本は過去と同じ過ちを繰り返すに違いありません。安保法案も安倍首相も、ただちに「廃棄」するしかないのです。
池田 恵理子(アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」wam 館長)