韓国で元日本軍「慰安婦」であったと金学順(キム・ハクスン)さんが告発されたのは1991年でした。当時学生だったわたしは、それ以来、日本軍「慰安婦」問題の解決のためにはなにが必要か、なぜ、戦争に加担したわけでもない、自分たちの世代が戦争責任を問われないといけないのかを考えてきました。
わたしの学生時代は、1993年に河野談話が出され、1995年には村山談話のなかで、「未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ち」が日本政府の意志として表明された時期と重なります。
植民地支配と侵略、そして性奴隷制度にほかならない日本軍「慰安所」制度という歴史的事実を前提に、新しい未来を築いていくために、政府、そしてわたしたち市民にはどのような責任をとるべきなのかが議論の中心となっていました。河野談話もつぎのように締めくくられています。「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちをけっして繰り返さないという固い決意を改めて表明する」と。
あれから20年が経ち戦後70年を迎える今日、日本社会の言論状況、そして政治家たちのかつての「戦争」に対する考え方の変化には、隔世の感を覚えずにいられません。
しかしながら、長い時間をかけて戦後日本が紆余曲折を経ながらであれ、積み上げてきた戦争に対する反省と、市民にも根づいた平和な世界に向けた活動を、まさにひっくり返す違憲立法に他ならない安保関連法案が、安倍晋三首相の下で強行されようとしていることには、ある必然性があると考えています。
安倍晋三氏は、奇しくも河野談話が出された1993年に初当選した政治家です。自民党内では当時、戦後50周年を前にいかなる謝罪も反省もありえないとする「終戦50周年国会議員連盟」(1994年結成)が誕生し、かれは一年目議員でありながら、事務局次長として連盟の活動を支え、その後も、戦後世代がかつての日本の植民地主義や侵略戦争に対して責任をいかにして取るべきなのか、という問題関心が広がっていくのに対して、それを阻止しようとする政治活動を繰り広げます。
1997年に彼は、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の事務局長を務め、河野談話の世界にむけた約束を反故にする、中学校歴史教科書からの「慰安婦」記述の削除に関わりました。また、2000年12月に開催された民衆法廷「日本軍性奴隷制を裁く女性戦犯法廷」の記録を放映しようとしたNHK教育番組「ETV 特集問われる戦時性暴力」に対して、予算の審議権を笠に着た露骨な介入よる改ざんを強要しました。
2015年4月の米議会上下両院合同会議では、合州国にむかっては、「深い反省」と「和解」を強調しましたが、東アジアに対してはお詫びも「侵略」の言葉もありませんでした。合州国に向けて安倍氏は、不必要なほどに恭順の態度を示します。
わたしは、安倍政治の特徴を、〈国内に対しては「卑劣」、アメリカに対しては「卑屈」〉と考えています。たとえば、第一次安倍内閣当時に彼は、「慰安婦」問題に対して「狭義の強制性はなかった」という自らの発言に対して、合州国から反発が起こると、ブッシュ大統領に対して「申し訳ない気持ちでいっぱい」と述べています。
2015年という年は、イスラム国人質事件によって、日本人が殺害されるという事件から始まりました。この事件を契機に、安全関連法案の改訂に意欲を示した安倍晋三氏の発言を覚えているでしょうか。かれは、「世界は変わったのに日本人の頭は70年前と同じ。それでは大きく変わる世界の中で身を守ることができない」と衆院予算委員会で述べたのです。
いまだ対米従属することで、自分の権力欲--つまり、日本兵の血を流させ、国家の犠牲にし、そして自分の責任で靖国神社に奉ってあげること――を満たそうとする、冷戦期であるかのような戦後レジームを体現する安倍晋三氏とは逆に、いえ、そうした安倍晋三に体現される権力者の傲慢さに対抗する形で、いま多くの市民が立ち上がり、声を挙げるようになりました。若者たちは、〈民主主義ってなんだ?これだ!〉と、デモのたびに自分たちの意見を表明し、みなが共有していくことが、民主主義の原点だと訴えています。
現行の日本国憲法の下で、非常に遅い歩みかもしれませんが、わたしたち日本の市民はその精神を少しずつ学んできました。70年前とわたしたちの頭が同じどころか、たとえばわたしは91年の金学順さんの勇気ある発言を受けてから、ようやく日本軍がなぜ「慰安所」を必要としたのか、日本帝国のめまいのするような広大な領土の意味、そして国家はなぜかくも暴力的なのか、その暴力の歯止めとして憲法が存在すること、長い歴史の中で立憲主義が、人類の英知としての発見されてきたことを学びました。
2000万人という、ナチスドイツのユダヤ人ホロコーストの被害者の3倍以上にも及ぶ戦争被害者を東アジア諸国に生み、自国でも広島・長崎の原爆、東京・大阪などの大空襲、そしてわたしの身近な母も焼きだされた、想像を絶する被害を出したその戦争とは、いったいどういったものだったのか、じつはその詳細を、わたしたちはほとんど知りませんし、70年という時間はもしかすると、まだその全容を知るには足りないのかもしれません。
わたしたちは戦後長い時間をかけて、時に力をむき出しにする露骨な国益優先の戦争がいまだ米国を中心に行われているなかで、平和憲法を支柱に日本は国家による人殺しはしないと、大国米国に向けても主張し、世界のなかでその地位を確立してきました。残念ながらかつて侵略された国々から信頼を勝ち得ているとはいえませんが、市民の交流や研究を重ねながら、わたしたちは武力によっては平和を獲得できないことを学んできたのです。過去の過ちを正しながら、少しでも良い政治にしていく。それが、民主主義の原点といえるかもしれません。
他方で、安倍晋三氏は、自分の意図に反するような事柄からは、なにも学ぼうとしない人といってよいでしょう。来る8月14日に安倍談話が出されようとしています。どうやら、公明党の強い意志を受けて「侵略」には言及するだろうと報道され始めましたが、「謝罪」はしない方針のようです。かれは、今回の談話について、過去の首相談話を「全体として」継承しているのだから繰り返さなくてよい、と繰り返してきました。しかし、彼は真摯に過去に学ぶとはどういうことなのかについて、理解していないのではないでしょうか。
自分のことを少し振り返ってみてもいいでしょう。わたしたちは、同じ過去・出来事についても、自分のその時々の気持ちや体調によっても、また成長し、考えが変わることで、まったく違う意味を発見します。わたしにとって「慰安婦」問題がそうであるように、ある問題をきっかけに、歴史や世界がまったく異なって見えてくることがあります。
過去を真摯に直視しないで、未来がやってくることはないでしょう。なぜなら、膨大な過去の事例を少しずつ学ぶことで、また新しい過去が開け、過去への新しい見方が自分のなかに生まれてくることで、わたしたちは少しずつ新しい自分と、新しい世界に出会うからです。
見たいものだけ見る、聞きたくないことはなかったことにする。そうした安倍晋氏三の頭のなかは、まさに彼が初当選した当時のままなのではないでしょうか。「終戦50周年国会議員連盟」の事務局次長として、先の大戦については、いかなる反省も謝罪も認めないといった時のまま、彼の頭は止まっているかのようです。
いま、日本国中で、頭のなかの時計の針が逆回りしているかのような首相を前に、ようやく自分たちで民主主義とはなにかを考え直そうという機運が高まっています。安保関連法制は廃案、あるいはもし、与党がそれを認めないとしたら、ますますわたしたち市民自身の手で、民主主義ってなんだ、と自問し、自分たちで答えを見つける運動が高まることになるでしょう。戦後70年はまさに、民主主義を再びわたしたちの手に取り戻す闘いの年となったのです。
岡野 八代
(同志社大学教員・京都96条の会代表)