「戦後70年を迎えて」阿古 智子 – 東京大学准教授、現代中国研究

阿古 智子
東京大学准教授、現代中国研究

阿古智子氏

私の家は、祖父母も親も戦争に行かなかった。母は兄弟8人、父は兄弟10人の大家族で、どちらの家族も貧困に苦しみ、父はしばしば、自分だけ林間・臨海学校に行けず、給食が食べられなかったこと、鍋の中の少しの肉を兄弟でけんかして取り合ったこと、最も苦しい時にはサツマイモの蔓まで食べたことを、私や妹弟に話した。私が持つ身近な戦争の記憶というのは、そのようなものだ。
私が生まれたのは高度成長のまっただ中の1971年。学校教育を受けた1980年代から1990年代、バブル経済に沸いた後は、金銭的な豊かさを盲目的に追い求めるのではなく、経済発展がもたらす環境面・社会面におけるコストについて盛んに議論されるようになった。狭い視野で国益を追求せず、国際化・グローバル化を見据え、多様な文化や価値を認める風潮が広まっていった。
こうした家庭環境や時代背景の下で成長した私の現代中国を研究する視野は、ある種「冷めている」ように見えるかもしれない。しかし、研究対象との距離を適度に保ち、冷静な見方ができているようにも思う。中国や中国人に対して、必要以上に過度な贖罪意識や、空虚な劣等意識や優越感を持たずに済んでいるような気がするのだ。
私は中国について、世界の貧困問題を研究する中で関心を持った。13億以上の人口を抱える大国で、発展途上国でもありながら、識字率が高く、伝染病の治療や予防、食糧自給に一定の成功を収めた。人々は、戦争や国内政治の荒波にもまれながらも、たくましく生きている。しかし、国有セクターや都市を重視する市場経済化を加速する一方で、農村に不利な戸籍制度や社会保障制度を維持し、貧富の差は驚異的な水準にまで拡大した。私が中国の貧困や社会問題を研究しようと考えたのは、そうすることで、人類に共通して重要な課題を見出せるのではないかと考えたからだ。また、中国が目指す発展の方向によって、世界の構造が大きく変わるという認識もあった。
しかし、日本人の私が中国を研究し、中国と関わっていく中で、歴史問題を避けては通れない。初めて中国を訪れ、列車で旅をしていた時、隣り合わせた中国人たちは、「日本の電化製品や自動車はすばらしい」「戦後短期間で復興を成し遂げた奇跡の国だ」と持ち上げ、「中国人は資質が低く遅れている」と肩を落とす一方で、「日本人は歴史を学んでいない」と言わんばかりに、日本の戦犯の名前を次々に筆談で示した。全て私が知っている人物だった。
国民の資質は生来決まっているわけではない。国の発展には複合的な要素が影響を与えているのだから、日本と中国の発展を同列に比較することはない。それに、中国のメディアや教育現場で伝えられる日本のイメージは偏っており、歪んだステレオタイプが一人歩きしていると不満に思った。しかし当時私は、中国人なら誰でも知っているような、日本軍の攻撃によって多数の死傷者を出した事件を知らないことがあった。日本軍と激しく戦った村に、その事実を知らないまま、調査に入ったこともあった。
同じ人物や事件についても、どのような位置から見るかによって、見え方は違ってくる。「被害」や「加害」の実態をさまざまな視野から学び、異なる立場にいる人たちがどのように歴史を学び、どのような感情を持っているかを知ることが重要だ。毎夏、戦争を特集する新聞報道やテレビ番組を見ながら、広島や長崎と同じように、アジアで起こったことも日本のメディアが積極的に伝え、子どもたちが活発に教育の場で学ぶべきだと感じる。それが自然にできるならば、「自虐」でもなんでもない。自らをより良く知るためであり、未来に向けて、同じ失敗を繰り返さないためでもあるのだから。
戦後70周年の今年、私は重苦しい気持ちを抱えている。日本政府が近隣諸国を「仮想敵国」と捉え、次々と新たな安全保障政策を打ち出す中で、「仮想敵国」との間で不信感が一層高まり、互いに軍備の拡張を正当化する向きが顕著になっているからだ。国土や国益を守ること、国際秩序を維持し、紛争のリスクを抑えるために勢力均衡を図ること、国際的な平和構築に貢献することが日本にとって最重要課題であることを否定するつもりはない。だが、安全保障のハードな側面がクローズアップされすぎているのではないか。他者を「異質で危険」と捉えるばかりでは、関係が改善されるはずがない。立ち位置が異なることで、衝突が生じる可能性を冷静にとらえながらも、同じ「喜怒哀楽」の感覚をもつ人間として、相互に理解し合う方法を模索すべきだ。そして、共に未来を形成するためには、国境を越える公共圏を構築する努力が不可欠だと考える。
昨年、自分の研究を通して知り合い、長年交流してきた中国の人権派弁護士たちが次々に拘束され、私は、日本で働く研究者や弁護士と共に、基本的人権を擁護し、社会正義を実現する使命を全うしようとする弁護士たちの心身の自由を求めて、署名活動を行った。2015年8月の現時点で、640人を越える人がこれに賛同してくれているが、日本におけるこの問題に対する関心は、非常に限られた範囲でしか広まっていないと感じる。
私が、中国の人権派弁護士について発信するのは、「中国がいかに人権を抑圧しているか」を主張したいからではない。国を越えて、普遍的に法の支配を広めなければ、ハードな側面の安全保障も機能しなくなると考えるからだ。人権、自由、民主などに関する価値観を共有することができれば、国を越えた公共圏をつくりやすくなる。相互不信を減らし、人類共通の財産を築くことにより力を入れるはずだ。軍事費を抑え、より多くの予算や人材が、医療や教育を改善するための政策に振り向けられるだろう。
それに加えて、「中国の」少なからぬ人権問題が日本とも関連しており、日本が率先して問題解決に取り組む必要に迫られていることも強調したい。例えば、ビジネスの現場においては、日本企業が直接関与していないとしても、中国の取引先や下請け企業が環境汚染や労働問題を起こしていれば、日本企業も責任を問われることになる。また、中国の空が曇ったままでは、中国で働く日本人も安心して生活できないし、汚れた大気は海を越えて、日本の領土にも迫ってくる。そう考えれば、中国の人権問題は人ごとではないのだ。
「あなたの考えは楽観的すぎる」「中国はそんな甘い国じゃない」と言われるかもしれない。しかし、悲観的になっても未来は開かれない。人数はまだ限られているが、中国にも基本的人権の価値を共有できる人たちが確実に育っている。日本は、戦後の経済発展や平和国家としての経験を基に、ソフトパワーを存分に発揮し、中国に影響を与えるべきだ。
現在、東京の我が家には、日本の大学に通う中国人留学生が1人ホームステイしており、その他にも、年がら年中、中国の友人やそのまた友人が泊まりに来る。夏休みの今は、米国の大学で学ぶ中国人学生2人が日本でインターンをする1ヶ月の間下宿しており、我が家は一気に5人家族になった。狭い部屋が4つあるだけの小さな家だが、それぞれ譲り合うべきところは譲り合い、言いたいことは言い合う。お互いよく理解していない間は、疑う必要のないことを疑ってしまったり、小さなことを大きく考えたりしたこともあったが、時間が経つにつれて、適度に距離を取ったり、相互に思いやったりできるようになる。
夫が中国に単身赴任しており、祖父母も関西在住、5歳の子どもを1人で育てる私は、毎日仕事と家事、育児で息をつく暇がない。中国の学生たちは、私が残業で帰宅が遅くなる時には、子どもの保育園や習い事の送迎、食事から風呂の世話までやってくれる。1人の学生は少し前まで、道路に飛び出しては大変と考えたのか、徒歩15分もかかる習い事の教室まで、息子を肩車して連れて行ってくれていた。私はびっくりして、「疲れるから、歩かせてね」と伝えた。もう1人の学生は、私が息子の就寝時間までに帰れなかった日、息子が眠るベッドのそばで、小さな電灯をつけてしゃがみ込んで勉強していた。「こんな暗くて狭いところで勉強しなくてもいいのに!」と私が言うと、彼は「○ちゃんがベッドから落ちないか心配だったから」と答えた。息子は中国のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちにこんなにも大切に育ててもらっていると胸が熱くなった。私自身も学生時代、中国でよく人の家に泊めてもらった。母親が早くに病気で亡くなった私を思って、本当の娘のように私に接してくれる「中国の母」もいる。私にとって、中国は自分の家族が住む国であり、自分の国も同然だと思っている。
あと5年、10年、そして20年経てば、日本は、日本と中国の関係はどうなっているだろう。最近ワイドショーは、頻繁に中国人の「爆買」を特集して騒いでいるが、日本の人口減少の趨勢や中国との経済的つながりを考えれば、日本社会に占める中国人居住者・訪問者の割合が増えていくことは確実だ。同時に、日本人と中国人の間でのトラブルが増え、相互の不信、誤解、差別感情が高まることも容易に想像できる。
自分の息子を大切にしてくれる中国人学生を前に、血の通わない「中国人」「韓国人」は「日本人」とは異なる人種だなどとは、私には到底思えない。私は、ヘイトスピーチを断固として許せない。異なる立場にいる人間が衝突することは予測できる。衝突を出来る限り防ぎ、問題が生じた場合も迅速かつ効率的に解決する方法を具体的に考えなければならない。ハードな安全保障だけでなく、相互にコミュニケーション能力を高めるのだ。共有できるソフト面の資産を増やしていくのだ。私のイギリス人の友人は、「EUでは加盟国間で外国語の学習を広めており、特に近隣国の言葉はとても重視するのに、なぜ日本人は韓国語や中国語を学ぼうとしないのか」と不思議がっていた。戦後70年にして、アジアの国々と不幸な過去の歴史を乗り越え、互いを理解し合うための日本の取り組みは、まだ始まったばかりだと感じる。

阿古智子(東京大学准教授、現代中国研究)